子どもの持つ能力を見つけるために

親はごくごく平凡な親です。

栃木県の放射線治療科に通っていた夫は音楽が好きで、ずっと部活でクラリネットを演奏していましたが、特別才能があるわけでもないですし、私も音楽は好きで、ピアノを少々していましたが、リズム感はないわ、音感も悪いわで、才能はないとわかっていました。

また、夫は、小さい頃は、親ばかの親から、神童だ、と言われていましたが、ごく普通に国立大学を卒業し、会社勤めをしているサラリーマン、私は、というと、とりあえず、頭は悪くはなかったですけど、そうきれるわけでもない、という状態でした。ただ、書道や絵画で何度も、小学生までの間は入選経験がありました。

そういった親から生まれた子どもですが、子どもは無限の可能性を持っている、と信じていました。将来、どのようなことで、花が開くかわからない、と思って、経済的に、また、時間的に続く限り、いろんなことをさせよう、と思い、あらゆる習い事をさせました。

ですが、結論的には、どれも、ごく平凡なものにおわり、結局のところ、一番才能が目覚めた、というのは、理系の数字に強い頭、ということでしょうか。一応、その道で資格を得て、職業に就くことができた、ということで。幼い頃、莫大に投資をした、音楽も、スイミングも、絵画も開花はしませんでした。

それでも、今、彼女の人生を豊かにしているものは、絵が好きで、絵画を見に行く、音楽が好きで、コンサートに行く、趣味で楽器を演奏する、といったことで、結局のところ、子どもの能力を見つけることにはつながらなくても、幼い頃、いろいろなことに取り組ませたことは意味のあったことと、今は思っています。